築地本願寺 その流れを汲む、格式ある場所
和田堀廟所は、関東大震災で罹災した築地本願寺の分院として、昭和9年、武蔵野の面影が残る地に建立された。1万2千坪の広大な境内には築地本願寺から墓所が移転され、以後大勢の参拝者が訪れている。
昭和20年の東京大空襲では多くを焼失したが、有縁の方々のご尽力により、昭和28年に現在の本堂が再建された。樋口一葉や中村汀女、九条武子夫人をはじめ、著名な文化人の墓所には、今も故人を偲んで多くの方々が参拝される。
春にはソメイヨシノが咲きほこり、自然のやすらぎが皆様の心の拠り所となり親しまれ続けている。
(2017中に、墓所通路が土から舗装が完了します)
[申し込み資格者]
宗派が「浄土真宗本願寺派(西本願寺)」の方に限ります。
※所属寺のない方は、和田堀廟所奉讃会にご入会頂きます。(年会費¥2,000.-)
※これまでの宗派は問いません。
建墓における宗旨帰属(檀家等):あり「浄土真宗本願寺派(西本願寺)」
大正十二(一九二三)年の関東大震災で築地本願寺が罹災し、再建にあたって境内にあった多数の墓地を移転する必要にせまられました。
当時の大蔵省所管だった陸軍省火薬庫跡地約一万一千坪の払い下げをうけ、築地から仮本堂として使用されていた建物などを移築して和田堀廟所が設立されます。
当時は児童公園や幼稚園が併設され、本堂も瓦葺の木造であるなど現在とはかなり趣の違うものでしたが、それも昭和二十(一九四五)年五月二十五日の空襲によって御本尊および御影を除き悉く焼失してしまいます。
しかし、戦後の混乱が続くなか、有縁の方々のご苦労により、インド仏教様式の新本堂が再建され、昭和二十九(一九五四)年に大谷光明猊下の御親修で落慶法要が勤められました。
都心からほど近く、多くのみなさまに親しまれ、ともに歩み続ける心安らぐ墓所です。
有名人の眠る墓所(樋口一葉(小説家)、中村汀女(俳人)、九条武子(歌人)、古賀政男(作曲家)、佐藤栄作(政治家)、服部良一(作曲家)、内田吐夢(映画監督))